静岡から東日本大震災被災地を応援する活動を続けてきた 「しずおかおちゃっこ会」(以下おちゃっこ)と、「清水うたい隊」(以下うたい隊)。 息の長い支援活動を続けている二つの団体の活動をより多くの人に知ってもらおうと、清水市民活動センターでは「写真で振り返る12年のあゆみ~東日本大震災支援活動の記録~」を3月に開催し反響を呼びました。改めて両団体の代表に活動への思いをうかがいました。
左 しずおかおちゃっこ会 倉橋 賢広 氏
右 清水うたい隊東北ボランティア 望月 光則 氏
(本文中では、敬語略とさせていただきます。ご了承ください。)
(望月)
きっかけは、私の職場にいた岩手県の山田町出身の若者でした。彼は故郷の役場に勤めたいという夢を持っていました。
その彼が夢を叶えて1年が経過した頃に、東日本大震災がありました。しばらくは連絡が取れず心配していたところ、やっと仮設住宅で暮らしながら、役場で震災の対応をしているといことがわかりました。
それで、2012年の夏に缶詰等の食料を車に積んで、家内と一緒に山田町まで届けたんです。その時に「大きな災害が起きて東北が大変な状況にあることを静岡の皆さんに伝えて欲しい」と彼が言ったんですね。
それが、自分に与えられた宿題だと感じ、何かできることはないか考えました。それで、清水区で活動していたことを東北でもやろうと思い、エレクトーンをマイクロバスに積み込み、山田町に訪問しました。
これがうたい隊の最初のボランティアです。
▲エレクトーン持参で集会場を訪問(うたい隊)
(倉橋)
そもそものきっかけは、中学2年生の時に経験した新潟県中越地震でした。新潟に向かっている途中で中越地震が発生したんです。現地に到着すると、道は地割れで通れなくなっている、知り合いの家が半壊しているという状況でした。
この時に防災を勉強したいと思い、全国で唯一防災学部がある富士常葉大学に入学しました。そして2年の時に東日本大震災が発生しました。津波の映像を見た時に、何かしなくちゃいけない感じ、同年3月26日に大学の先生と一緒に宮城県仙台市に入りました。
その後も、岩手県や福島県にも行ったりしていたのですが、大学4年の時に、宮城県の気仙沼市に拠点を置いて支援することにしました。この時には、東日本大震災の復興に寄り添っていこうと決めていました。
卒業後は、社会人として働きながら東北に行くのが難しかったので、静岡で毎月集まるおちゃっこの活動でも復興の糸口になると感じ、活動していて気づけば10年以上が経過していました。
(望月)
東北にボランティアに行った時は、『学習活動』と『交流活動』をしています。
ボランティア活動の移動時間を利用して、東北を見て学ぶのが『学習活動』、震災の経験をした人に当時の様子を語ってもらうのが『交流活動』です。もちろんボランティア活動が主ですが、年々学習活動、交流活動の比率が高くなっています。
(倉橋)
静岡では大学に提出する願書の内容を一緒に考えたり、引っ越し先を一緒に探したりする等、段々と友達、家族のような関係になってきたと感じます。
何かあった時に頼れる人いないんですよ。故郷でもないですし、家族も年もとっていきます。
そういった時に、おちゃっこのメンバーが支えてくれる存在になってきたと思います。団体名の『おちゃっこ』という言葉は、東北弁でサロンという意味があるのですが、10年という時間の中で、その役割が増してきたように感じます。
(望月)おちゃっこさんのメンバーは、ファミリーみたいな存在ですね。私達も年1回の訪問にも関わらず、次の年も同じ街でやるとまた来てくれている人がいるんです。もちろん全ての人ではないですが、毎年こういったことが続いていくと、もっと東北を知りたい、もっと応援したいという気持ちが芽生えていって、自然と学習活動と交流活動が増えていきました。
(倉橋)
僕たちは、建物が燃えていたり、船が乗り上げてしまった様子を現地で見てきました。
若い子たちは、TVで建物がない更地や原発の影響で入れなくなった後の様子を『被災地』として見ています。同じ被災地でも、見てきた風景が違うんですよね。だから、彼等が初めて被災地を見た時の印象や感想を知りたいです。
(望月)
10年前にもらった宿題を果たすためにも、私たちも若い世代を巻き込んでいく必要があると思っています。昨年の東北ボランティアでは、5人の高校生が参加してくれました。
そして、彼等が東北で体験したこと、学んだことを伝える報告会を開催しました。
(倉橋)
その報告会は僕も参加させてもらいました。いい報告会でしたよね。
12年たった今も震災は続いています。福島の家に帰ることはできても、周囲にお店がないので、まだ生活はできません。生活ができないので、明かりが灯らず、ゴーストタウンみたいになっています。
先ほどの高校生達の世代が、主役となり、東日本大震災に寄り添っていくとしたら、どういったことができるのか考えていきたいですね。この時に若い世代に寄り添って、サポートしていくのも僕らの役割だと思います。
▲静岡の魅力を知ってもらうことも意識して運営(おちゃっこ)
(望月)
何回も東北に行き、人に会い、色々と学んできました。
それでも、まだ学び足りないことや出会っていない人がいます。だから、今後も東北に足を運びたいと思います。
2022年に、『静岡と仙台きずなコンサート』を開催しました。来年度の計画も既にはじめていますので、おちゃっこさんにもお声掛できればと思っています。
(倉橋)
ありがとうございます。毎年3月11日のキャンドルナイトには、たくさんの方からメッセージをもらいます。そのメッセージ付きのカップを並べて、『未来へつながる希望の光』という文字と飾りを作るんですね。
黄色いリボンには、『復旧・復興』という意味があり、キャンドルの光が、東北の未来へつながる希望になればと思い開催しています。これからも、静岡の多くの方達の想いや願いを、東北や福島につなぐ架け橋のような団体でありたいと思います。
更新日: 2024/01/11 (木) 14:27