静岡2.0の大原みちのさん、しずおかおちゃっこ会の小澤賢広さんは学生時代の東日本大震災、静岡の学生による能登半島復興支援ネットワークこんぱす(以下こんぱす)の石井恭華さんは能登半島地震をきっかけに活動をはじめました。「東日本」と「能登」の違いはありますが、復興支援活動という共通点のある3人に、それぞれの活動や思いについて語っていただきました。
大原さん、小澤さんの学生時代の想いや状況を語ってもらうことで、被災地の状況の変化に加え、学生から社会人になったこと、結婚して子どもが生まれたこと等自身のライフスタイルの変化に伴い、学生時代とは異なる「市民活動」との向き合い方を模索してきた2人の姿がありました。一方で、こんぱすの石井さんのように、2024年の能登半島震災をきっかけに活動をはじめた学生にとっては、2人のあゆみが卒業後の未来を見据えた活動との向き合い方の参考になったかもしれません。
静岡市清水市民活動センターでも、毎年3月に防災に関連した講座を開催しています。今年は、大原さんが副代表を務める静岡2.0にファシリテーターをお願いして、「防災バッグから話そう レジリエンスとわたしたち」と開催します。
大原―2012年の6月に石巻に滞在させてもらった時の経験がきっかけになっています。私は、福祉避難所の手伝いをしていました。そこは、シェルター的な役割も兼ねていて、息子さんから暴力を受けてしまったおじいさん、仮設住宅で生活をしていたけど、料理の仕方を忘れてしまったおばあさん等がいました。一方で、港に連れて行ってもらうと、東京の大学と連携して漁港の復旧に取り組む人達もいました。震災で疲弊しても、前向きに取り組んでいる人がいる一方で、震災前よりも生活が苦しくなっている人もいて、この違いについて考えました。帰ってきてから、教授と話をしている時に、『レジリエンスを地域に当てはめることができないか』と言われました。それから週1回レジリエンスの勉強会をはじめました。
小澤―大学2年生の時に東日本大震災が起きました。発生直後に、大学の先生が現地の調査に行くことになり、ついていきました。その後も、継続して被災地にいき、大学4年時の1年間は気仙沼に拠点を置きました。同時に、静岡でも支援活動をできないかと考えていました。活動する中で出会った福島県から静岡県に避難してきた方(おちゃっこの代表)に、『僕と同じような経験した人が静岡にもいるはずだから、そういう人を集めて話をしたい』と言われました。これをきっかけに、今も続けている月に1回の交流会がはじまりました。
石井―こんぱすは、能登半島地震の発生時に、NPO法人ESUNEの呼びかけをきっかけに集まった学生の団体です。最初は、自分に何ができるか考えました。集まった学生は3人でしたが、『まずは現地の状況を知ることが大事』ということになり、能登についての勉強会を開催しました。
小澤―能登の地震発生時は、SNSで情報を集めて、まだ動くときじゃないと思いました。東日本の時は、学生で何もわからなかったこともあり、とりあえず現地に行こうと思って活動していました。
大原―東日本発生直後は、南海トラフが起きるかもしれないという噂もあり、とにかく不安でした。当時は、何もできない無力感に加えて、現地に行かないことへの後ろめたさみたいな気持ちも感じていたと思います。能登は、東日本の時よりは、冷静に対応できた気がします。以前は、家族とネットしか震災について話す場所がなかったけど、今は2.0のメンバーをはじめ震災について話せる人ができたので、焦らずに済みました。
石井―防災についてやりたいという気持ちは、特にもっていなかったです。大学1年の夏に福島に行く機会があり、まだ入ることができない中間貯蔵地域を見ました。2人の話を聞いていて、もしかしたら能登の震災が起きた時の『何かしたい』という気持ちに繋がっていたかもしれないと感じました。
小澤―熱量は変わらないつもりでいます。ただ、学生の時と違い、仕事をしていますし、結婚して子どもも生まれました。避難してきた方達も静岡の生活に慣れて、近所の方のように親しくなっています。2020年に、帰宅困難地域が解除され、行政上は『帰れる人』になりました。でも、現地の情報がないので、福島に帰るか、静岡に住み続けるかの判断が難しい。だから、1年に1回僕が福島に行き、おちゃっこメンバーの家の写真を撮ってきます。それを見ながら彼らと『福島に帰る?』と話したりします。こうやって現地の様子を伝えていくことも、重要な役割と思っています。
大原―大学3年で活動をはじめたこともあって、就職活動の時も2.0のことを考えていました。社会人になっても活動を続けないと意味がないと思っていたので、県内の就職しか考えていなかったです。学生時代から『災害があった時に、この人達と連絡を取りあえるか』をテーマに活動を続けてきました。娘が生まれ母親になっても、そこは変わってないと思います。この1年で、母親コミュニティの防災シェア会に参加する機会がありました。そこで、頼まれてレジリエンスの話をさせてもらいました。
石井―就職活動がはじまったメンバーの中には、活動を控えている人もいます。私としては、続けられる限りは、続けていきたいです。社会人になっても、何かしらの形でやっていきたいと思っています。あと、4月になったら1年生が入ってくれたら嬉しいね、とメンバーで話しあっています。
小澤―東日本、熊本、広島の土砂災害、熱海の土砂災害など災害が起きた時は、1度は現地に行っていたのですが、能登は行けてないです。形はわかりませんが、これまで培った経験を能登に活かせられないか考えています。ただ、福島の震災はまだ続いていますので、そちらもおそろかにしないように気をつけいていきたいです。
大原―将来について悩む大学生だった時期に、震災が起きたことが大きかったと思いました。高校生の時や社会人だったら、こんなに深く関わっていなかったと思います。学生の時の東日本を起点に、災害も、静岡2.0もずっと横にいて、常に一緒に歩いていきたいと改めて感じました。
石井―10年以上活動をしている2人の話が聞けて良かったです。2人の当時の想いを聞くことで、自分と同じような想いを持っている人がいたことに気づきました。能登の方から『少しでも想いを寄せてほしい』『忘れないでほしい』という声もあります。長期化していくと思うので、能登を忘れない、忘れさせないことを大事にしていきたいです。
更新日: 2025/03/01 (土) 13:13